御前迎えの火【ゴゼンムカエノヒ】
◯地域
◯概要
菊池の土地を治めていた菊池一族は、能運公の頃になると、次第に勢力は弱まってきていた。
北朝方の大友勢は、どんどん勢力を増してきて、勢いに乗じて菊池一族を滅さんとしていた。しかし、十八外城の守りが固く、本城まで踏み込む事ができない。そこてま、大友勢の主将が、娘の朝日御前を使って、外城の1つである神尾城を落とす事を考えた。
朝日御前は、父の意を受け、農家の娘に変装して菊池の里へ入った。そして、お満と名乗り、城主水次氏の下使えとして忍び込んだ。
お満は、器量良く気も効くので、重用され、やがて城主のお側付きとなった。歌も踊りもよくできたお満はますます気に入られ、ついには妾になってしまった。
さて、水次の殿さんも42歳となり、初老の祝いをする事となった。厄晴れの宴は飲めや歌えやの大騒ぎで、殿さんもご機嫌で、ついには酔い潰れて寝てしまった。お満は殿さんを寝床へと連れて行き、寝かしつけたが、いよいよ待った時が来たと思ったのだろう。懐中の短刀で殿さんの喉元をひと息に刺したが、刺し損じた。殿さんは酔って寝ていても武術の達人、お満から短刀をもぎ取ると、どうした訳かと、事の次第を尋ねた。
お満も観念して、一部始終を話した。それを聞いた殿さんは「敵の娘ながら天晴れである。しかし、許すわけにはいかん。お前は斬罪に相当するが、平素の行いに免除、望む所の死を与えよう」と言う。
だか、お満は既に覚悟を決めていた事なので、斬罪を所望したそうである。
この頃の刑場は七城の蟹穴にあった。そこで刑に処され、円塚に埋め、墓の標に一本の椋の木が植えられた。
この辺りは淋しいところだが、闇夜になると、川辺の道沿いに、真っ赤な火が、ふわりふわり墓の方へと流れていくのが良く見られた。里の人はその火を“御前迎えの火”と呼び気味悪がったと云う。
似た名前の怪火が山鹿市にも伝わります。
こちらは、無念の死を遂げた芸者を迎える火であるといわれています。
◯参考文献
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