池畑の大蛇【イケハタノダイジャ】
◯伝承地
熊本県熊本市南区白藤町
◯概要
白藤町南端に、昔、池があったところ畑にしたので「池畑」の地名がある。昔、平安時代久安6年(1150)に河内守藤原経国という人が船で下向、飽田の津(飽田町)に上陸し、この池の東方である池辻(南高江町)に高家城を構えた。ところが、西にある池に大蛇が棲んで人畜に害をなし、村人は大変困っていた。
ある夜、経国は龍王大明神(護藤町)に参ろうと池の辺りを通りかかると、池が突然波立ち大蛇が出てきて経国を襲ったので、腰の鬼神丸を抜いて大蛇の胴体を真っ二つに斬ると大蛇は池に沈んだ。翌朝、再び行ってみると斬られた胴体の長さは一丈五尺四寸(約5m)もあった。村人は斬られた頭部を野口村、尾の方を荒尾村に晒した。
それから数日後に経国が白川辺りに出かけると突然黒雲に覆われ、中から大蛇が襲ってきたので弓を射った。しかし頭に矢が突き刺さったままもなお襲ってくるので斬り落とした。経国はこれは池で切った大蛇の怨念だろうから又出ないようにと、死体を三日三晩焼き続けた。だが一向に焼けなかったので、死体を十三に切り白川の河原で土瓦で蒸し焼きにした。そして大蛇の怨念を晴らすため供養の法要を行ったという。
その夜、経国の夢枕にお告げがあった。翌朝池に行って調べて見ると、お告げ通り池の中から阿弥陀像と薬師像の二体が現れたので大栄寺を建立しそこに祀ったという。
◯参考文献
新熊本市史編纂委員会編『新熊本市史 別編 第二巻 民俗・文化財』熊本市 1996年3月
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