天神社の霊木【テンジンシャノレイボク】
◯伝承地
◯概念
霊通寺の上に天神が祀られている。ここに一本の大木が聳えていた。あまりにも木が高く茂り、その影で農作物の実りが悪く、村人は大変困っていた。そこで庄屋の村山左衛門は、木を切り倒そうと二十数人の樵夫を雇って切らせたが、丸一日かかっても十分の一しか切れず、翌朝行くと切跡が消えていた。また切っても切れず、翌朝になると切跡は消えるので、樵夫たちは神木のせいだとこれ以上仕事するのを断った。しかし庄屋は賃金を倍に、晩には酒を振る舞い強引に作業を続けさせた。そして庄屋は神木の正体を確かめようと、忠僕義助に夜通し見張るように言いつけた。
夜中、義助が大木を見張っていると、樹の上から老夫婦が舞い降りて、手に持った熊手で地面に落ちている切屑を掻き寄せながら「切屑が焼かれないので切られたところをもと通りにできるわい」と話して補修していた。
ふと義助を見つけた老夫婦は「我らはこの木の精である。このことを口外せぬのならお前はこの世で一番の大金持ちにしてやる。しかし口外したら狂死するだろう。」と言って消えた。正直な義助は迷った挙句に庄屋に話してしまう。するの今度は50人の樵夫を連れて行き、大樹に向かって「木を切るのは多くの農民をすくうためで、神様が人間に害を及ぼすはずはない。もし罰するなら我一人にしてくれと、庄屋は言い切らせた。切屑を片っ端から焼き、二十数日かかってやっと切り倒すこのができたが、倒れる時、一の枝が2キロメートル先に突き刺さりそこから根が生え大木となりまた影を作るようになった。しかし誰も切る者はなく、昭和の始めまで茂っていた。村人は天神様に大木が枯れるよう祈願すると、満願の日に暴風が吹き倒したという。
さて、口外した忠僕義助は樵夫が切屑を焼く頃より狂いだし、大木が倒れると同時に狂死した。庄屋は大木の跡に天神様を祀り九十まで長生きしたという。この天神様は現存している。
霊通寺は浄土真宗本願寺派の寺院です。
Googleマップで見ると、今も天神社は祀ってありそうです。
(Google Maps 霊通寺より)
いずれ足を運んで取材してみたいです。
◯参考文献
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