ヤスカロウの火【ヤスカロウノヒ】
◯地域
◯概要
天正元年十月に起こった原田の戦いにて、官軍の猛追から逃げている途中、原田下手の底なし沼にはまり無念の往生を遂げた。里人は悲惨な最期を思い、塚に祠を立ててその冥福を祈った。それが誰かも分からないまま、”クチナシどん”と言い伝えた。
この“クチナシどん”から、小雨そぼ降る夕暮れ時に怨霊火が出て、東の方から原田部落へ消えたりついたり、二つになったり一つになったり、上下しながら原田部落に入って見えなくなるという。これを“ヤスカロウの火”という。
昭和八年旧正月二日深夜、鏡町内田の斉藤由良造の枕がみに立ち「本部落の方へなおしてくれ、弔う者もなく、花を供えて刳れるものもなく寂しい」と言ったという。早速、斉藤氏は原田の人たちと図り、口なしの遺跡を発見し、直ちに本部落の観音堂内に石祠を安置し祀った。それからは、怨霊火も出なくなったという。
◯参考文献
八代郡宮原町公民館『宮原の民俗』宮原町公民館1982年3月
※ネットにて情報が発見できなかったため、リンクなしです。
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