不知火【シラヌイ】
◯地域
不知火海岸一帯
◯別名
千燈籠【セントウロウ】
龍燈【リュウトウ】
◯概要
古く文献上では“不知火”と呼ばれるが、地元では“龍燈”と呼ぶ。
宇土半島南部の村々と八代郡の海に面した地域に渡って、龍燈見る為の一定の場所があり、“龍燈場”と呼ぶ。
火が出現するのは八朔の前夜半であって、土地の人々はこの火を拝む為に御神酒と重詰などを持って最寄りの高台に集まり出現を待つ。村民老若男女がこの行事に参加するが、昔は若い青年男女が主であったという。この火を拝んで何らかの御利益があるという伝承も今では言われていない。
翌八朔の行事は今日も非常に濃厚で、人間だけでなく牛馬までこの日は潮を浴びる風習がある。有明海では十二月の大晦日の晩に出るという伝承になっているが、熊本の龍燈は八朔の前夜だけだという。
なおこの地域一帯は龍宮の信仰が顕著であって、沿岸の部落に“リョウゴンサン”を祀った祠が非常に多い。龍燈はこの海底からこの“リョウゴンサン”が出現されるのだと説く古老は多いという。
八代海の不知火は、毎年旧8月1日の未明、午前2時ごろから4時近くまで干潮時に現れる。雨が降ったり風が吹いたり天候が悪いと現れない。また風がなくても余波があると現れず、風は南風かつ和風程度でないといけないという。月夜の晩には出現しない。
はじめ1つ2つ見えていた火が、急に左右に分かれて数が多くなり、盛んに明滅離合し、さらに幾段にも重なって見える。
足を海水に入れても見えず、岸辺や船上からもよく見えないが、沿岸の15、6メートルの高い所からはよく見える。余り高度が高くなると見えなくなるという。
船で近寄っていくと火の中を通れるように思えるが、実際はそこに火を見ることはない。
八代海(不知火海)および有明海だけに現れて、他の海では見ることができない。『管内実態調査書.熊本編』
◎天草郡
・大矢野島岩谷部落(現・上天草市大矢野町登立)
不知火海の見えるところにコバを拓いてあってそこを“千燈籠の段”という。盆提灯残しておいて七月二十九日の夜十一時頃から村の中老や若い者がその提灯に火をつけて行列を作ってその千燈籠の段に上がって龍燈を見る。老人子供もその後について上がる。酒肴を持って行くのでその晩は大変賑やかである。『熊本民俗事典』
・本渡市
不知火の事を"千燈籠”と呼び、本渡の海岸から八朔の晩に見えるという。
『熊本民俗事典』
・戸馳島
七月二十九日の晩には網子達が網元に呼ばれて不知火が見える山の上に行って三味線など持ち出して大変な騒ぎであった。『熊本民俗事典』
・志柿村(現・天草市志柿町)
志柿村大松戸の海岸に、山を少し登ると松の古木が2、3本立ってその下に石碑があり漂着神(ヨリガミ)様と言っている。
不知火は、この山の上から下って来て、この神の横を通り、海に入る。向こうの本渡町、本戸村の方から、大晦日の夜中に見ていると、志柿村の海岸にずらりと点される。そしてこの不知火は必ず後光が指す。後光がないのは船幽霊の火で2つは判然見分けがつくと古老はいう。『天草島民俗誌』
◎宇土郡
・不知火町(現・宇城市不知火町)
昔、第十二代景行天皇が熊襲征伐の帰り、芦北から船路をとられて、八代海に出られた。その夜の事、海上に不思議な火が見えるので、側近や土地の者に「あれは何の火か」と聞かれたが、誰も知らぬ火で「不知火」と呼ぶようになったと伝えられ、不知火町の名前にもなった。『肥後の伝説』
・松合町(現・不知火町)
松合町から見える不知火は、いつの頃から不知火として知られたか不明であるが、景行天皇の時代九州地方に「熊襲」という悪いものがいて良民を苦しめていた。天皇はそれを退治するために船に乗り九州の南方、今の芦北地方から熊襲のいる方へと向かった。八代の沖を過ぎて八代海に入るころには夜になり、その海上に不思議な火が灯っていた。付き添いの人に尋ねたが誰もその火を知らず、船をつけ、土地の者に聞いても誰も知らなかった。天皇は誰も知らない火「不知火」と名付け、それ以降から不知火と呼ばれるようになった。『管内実態調査書.熊本編』
◎科学からみる不知火
この火の持つ神秘性がもととなり、謎の不知火として語り継がれてきたが、科学の進歩とともに原理追及が行われてきた。
大正初期、福岡県水産試験場長・藤森三郎が熊本、佐賀、長崎の3県の協力を得て研究に着手した。その結果、貝の一種であるタイラギ獲りの漁火であると突き止めた。
さらに昭和11年から約7年の長期にわたり宮西通可博士が研究をおこなった。これにより漁火が気象条件によって、不知火現象を起こすことを物理学的に立証し「不知火は空気レンズ(気流レンズ)の作用による光の異常屈折、すなわち気象現象の1つである」と結論付けた。
昭和28年、長崎海洋気象台と九州大学、熊本大学の協同研究実施によってさらにその結論を深めた。『管内実態調査書.熊本編』
地元では“龍燈”と呼ぶとありますが、比較的に天草では龍燈、宇土では不知火と呼ばれているように見受けられます。
話はそれますが、この不知火はじめ、河童や山童とか、性質はや一緒でも名前が違うやつをどうまとめたものかと悩み投稿せずにいました。不知火と龍燈は別個で載せるべきかと。
「まあでも不知火に関しては、同じ海で起きる同一の現象を言っているので、まあ一緒でいいか!」となんともザックリとした思い切りで載せた次第です。
当サイトはその辺適当に分類しちゃってるので、ちゃんとやらねばと思いつつなかなかできてないのが現状です。俯瞰してみれば変なとこ多いかと思います。
生暖かい目で見てやってください。
すいません。
なにぶん無知無学なもので、分類はこうしろよ!バカヤロウ!とご教示頂けますと幸いでございます。
自分で考えろ!クソが!って話ですが。
ホントすいません。
まあ、なんで山女とか山姥とかも集めちゃいるけど、なかなか二の足を踏む状態なんですが、ぼちぼちやっていきます。
それはさておき不知火海や八代海に接する地域にはまだ話が残っていると思われます。
そこは随時更新予定ということで…。
◯参考文献
濱田隆一『天草島民俗誌』郷土研究社 1932年
『管内実態調査書.熊本編』熊本県警察本部警務部教養課 1961年
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