霊剣の怪事【レイケンノカイジ】
◯地域
◯概要
玉名郡山北村字上白木小字座主区に同署に不思議な霊験が伝来していた。今は当区民はこれを御神体とし尊崇している。
この霊剣は、元豊後国主大友氏の家臣である清田某という者が所有していた。故があって、主家を放浪して、ついに故郷を後に所々彷徨い肥後国玉名郡原倉村の山中に身を落ち着けた。清田の死後、霊剣は狩野十郎氏宅へと伝来した。
◎文化〜天保年間頃
今からおよ百数十年前の事である。
この区に荒瀨番蔵という熊本藩士がいた。ある時、狩野氏に霊験があることを聞き、「農家が斯かる物を所持するのは恐ろしい。」と自宅に保管をするため持って帰った。その夜から毎夜同氏宅に霊光が出現して眠ることはかなわず、家人は皆恐れて生きた心地はせず、この現象は続いた。荒瀨氏は「これは絶対に霊剣の災いだ」と思い直ぐに狩野氏宅に返したところ、不思議にも止んだという。
◎天保14年(1841年)
狩野五郎七氏の時代に座主区が火事になった。狩野氏宅も類焼に遭い、五郎七氏は仏壇を取り出そうと、燃え上がる家内に突入した際に、仏壇の上に吊るしてあった霊剣が自ら縄を斬り、氏の前に落ちてきたという。氏は仏壇と共にこれを持ち出し、災を免れた。
◎慶應2年7月(1866年7月)
霊剣が盗難に遭った。区民は大いに驚き、協同で行衛を捜索した。しかし犯罪者も同区民であり、これを他に売却しようと、付近の宇今山にある薬師堂の屋根に隠匿していた。売却時期を待っていたが、その日の暮れに薬師堂の屋根より一魂の怪火が現れ,、今にも薬師堂を焼き尽くさんとする有様だった。これを見た人々は、皆、奇異に思っていたが、犯人はその時から悪寒を覚え発熱し、次第に身動きすら取れないようになった。犯人は「これは霊剣の祟りである」と後悔し、事の次第を自白した。薬師堂から再び狩野氏宅に霊剣を移すと、怪光は消え犯人の発熱も治まったという。
◎現在
これらの度重なる怪事を受け、区民の協議の上で霊剣を狩野氏宅に祀り、1年に1回霊剣の為に祭事を行う様になった。
◯参考文献
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