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万作狐と太郎作狐

万作狐と太郎作狐【マンサクキツネトタロサクキツネ】


◯地域


◯概要

昔の大津街道は、赤星からまだら坂を通っていた。この坂の少し上手こ小高い山を稲荷山と呼び、南側の日当たりの良いところに1つのほら穴があって、狐の親子が棲んでいた。親狐を万作、子狐を太郎作といった。

この親子は賢く、妙見村の村民が遅くに帰るときは、2匹で迎えに来て灯りを灯してやった。唐芋掘りや粟の穂ちぎりなどで遅くなるときは、高い土手の上から「太郎作ヨーイ」と呼ぶと、どこからともなくやって来て明々と照らしてくれる。そのことから村民たちは狐を大層可愛がり、赤飯や団子などを作ると、狐の穴の前に持っていってあげたという。

ある日のこと、子狐の太郎作が遊びから帰って「チャン、ただいま」と母を呼ぶが、何も返事がなく、穴の奥の方から「ウー、ウー」と呻く声が聞こえてくる。「どうしたのどうしたの」と尋ねるが、母は目を閉じて呻くばかりであった。

しばらくして、やっと痛みも少し和らいだのか、目を見開いて「太郎作、決して悪いことはしてはならないよ。今日、チャンはこの山を下って獲物を探し回ったが、これというものはなかった。それで出田の村はずれまで行くと、ある家の庭で鶏が4、5羽楽しそうに餌を拾っているのが見えた。チャンはいきなり庭に飛び込んで、その鶏の首元に食らいついて、持って行こうとした。そしたらその家の犬が襲いかかってきて、噛みつかれた。チャンは散々な目にあい、やっと逃げ帰ったのだ。」と言い聞かせた。太郎作はなだめながら、さすったり、ねぶったりしながら看病した。

万作は「お前に1つ頼みがある。この村に十薬という草があって、どんな病気にも良く効く。それを取ってきて、揉んで傷につけてくれ。」と言う。

親想いの太郎作は、言われた通りに十薬で揉んで看病した。その甲斐あってか、万作は足を引きながらも歩けようになった。

ある日のこと、太郎作は万作の具合も良くなったこともあり、山を下り外へと遊びに出た。西寺の方へ出ようと、小川を飛び越えようとしたとき、そこで若い男女が抱き合っていた。太郎作は驚き、近くの大きな柿の木の枝に化けて、じっとその様子を見ていた。

女は赤星の橋のたもとの茶店のひとり娘であるお絹、男はそこの番頭の芳三であった。2人はいつからか深い仲になり、いつか夫婦になろうと誓い合っていた。しかしお絹の両親はそれを許さず、思いあまった2人は死のうと思いここへやってきた。

2人が帯を解き、太郎作が化けている枝にかけ、2人で首を吊ろうとした。さすがに2人の重さに耐えられず、太郎作の手が幹から外れたので、2人とも地面に落ちてしまった。

心配した太郎作は人の声で「早まったことをしてはいけませんよ」と言ってからその場を立ち去った。

棲家に帰り、万作にこのことを話すと「お前のおかげでお絹さんたちは助かったのだ。親たちも喜んでおられることだろう。良いことをした。」と褒めてくれた。

またある日、遊びに出た太郎作は赤星の社の近くまで来ていた。そこを通り過ぎようとしたとき、なんとも言えぬ美味そうな匂いが社の方から流れてきた。

社の中を覗くと、たくさんの魚や小豆飯、人参、大根などがお供えしてあった。万作から「けして悪いことをしてはならないよ」と言われていたが、お腹がすいた太郎作はそれを取ろうとした。すると、宮籠りをしていた村の若者たちがそれを見つけて、太郎作を捕らえて境内の大銀杏の木に括りつけた。

村の若者たちは太郎作を青竹で叩いたり、足で蹴ったりと痛めつけ、その度にキャンキャンと泣いた。

そこへ若い男女が神社参拝にやってきた。そしてこのありさまをみて「かわいそうに」といって、太郎作を見た2人は「あっ、あのときの狐さん!」と叫んだ。若い男女は、親の許しが出て夫婦となったお絹と芳三だった。

お絹が芳三とともに「これは、以前私たちが危ういところを助けてくれた恩ある子狐です。私たちが買いますから譲ってください」としきりに頼むので、渋っていた若者たちも2文の銭で譲ってくれた。

お絹夫婦は、太郎作を連れて家に帰り、両親とともにみんなで手当をし、ご馳走した。太郎作は嬉しくてたまらなかったが、これ以上遅くなると万作が心配するだろうと思い帰ることにした。太郎作はこの恩返しにと「揚げ豆腐を2つ切りにして、それに五目飯をつめて売りなさい。かならず店が繁盛します。私は、向こうの妙見の山に父と2人で住んでいる狐でございます。どうかお元気で。」と最後に万病薬の十薬のことを教えて立ち去った。

その次の日から、お絹たちは早起きをして、狐の言ったものを作って店先に出したところ、飛ぶように売れた。そして狐の教えてくれた食べ物だということで、人々は“稲荷寿司”と呼ぶようになった。

その後、お絹夫婦はあの狐はただの狐ではないと妙見の山に朝夕参拝するようになった。まあ近隣の人も参拝するようになり、大変栄えたという。人々はその山を稲荷山と呼び、十薬という薬草は狐の唐芋と呼ばれ、今でも薬草としてもてはやされている。


 

◯参考文献

菊池市高齢者大学編著『菊池むかしむかし』図書出版青潮社 1978年

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