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百怪堂

一本松の狐火

一本松の狐火【イッポンマツノキツネビ】


◯地域


◯概要

高橋の内原と言って、御宇田台地から東に続いている台地を少し行くと、一本の大きな松の木が一段高い塚の上にそびえている。

6月も半ばに近く、五月雨がしとしと降り続いて鬱陶しい、暮れて間もない夜の事。村の若者常どんと貞やんの2人が、仕事を終えて村に戻る途中少しの酒の勢いも手伝って、怪談などを話して歩いていると一本松から大小様々な火の玉が現れて、東の方に向かって一列に、ふわりふわりと長く現れているのを目の前に見た2人は怖くなって、怪談話が本物になったものだから、一目散に、村へかけ戻った。

翌朝このことが村中の評判になって、村人たちは怖いもの見たさに、夜になって火の玉見物に出かけたが、やはり、毎年のように夏から秋にかけて雨の夜によく人魂が飛ぶのを見た。村の和尚さんによると「人魂も昔は見たが、今度のは、人魂でなく、狐ん火に間違いない。一本松には古墳の穴の中に狐が棲みついていて、村にも時々化けて出ておった。その狐の娘が嫁入りした狐の火で、その証拠には人魂は大概1つ出て急いで飛ぶようにして消えるが、狐ん火は3つ4つの丸いお月さんのような色をして、ふわりふわりと舞うように長く並んで出ては消えるのじゃ」と。

それ以来恐くなって、村人たちが、一本松には近づこうとせず、畑作りも出来ずにそれかといって狐退治でもしようものなら後の祟りがかえって恐ろしいので、和尚の妙案で一本松のすぐ横に石造の馬頭観音を祀って村人たちが祭祀をしたところ、それからは狐火は出ないようになったという。

その一本松も昭和20年8月第二次世界大戦終結後、戦没者の後を追うように枯死してしまったという。


 

一本松の由来

昔菊池氏征伐のためにやってきた朋勇兼備の大将・今川了俊が、軍勢を率いて本陣を構えていた名勝の丘、それが茶臼塚である。里人はここを一本松と言っている。了俊が陣屋を築く時に植えたのがその松と言い伝えられている。樹齢100年、樹高8間余りあるただの一本の松が、その塚の上に見事な枝振りを見せて、米原長者どんで名高い日ノ岡の裾野に広がる野や村を睥睨して、里人たちから信仰にも似た神木のように朝夕親しまれていた。



 

◯参考文献


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