招川内の鞍渕【マンバのクラブチ】
◯地域
◯概要
平家の落人たちが、安住の地を求めて、南へ南へと流れたもののうち、水俣に一時隠れ家を見出した者も相当あったが、市の中心から12キロ、湯出川上流にも、落人が隠れ住んでいた。そこに”鞍渕”と呼ばれる渕がある。
昔、源氏に滅ぼされた平家の公達は、湯出川の隠れ家に住む身となり、毎日木臼野と呼ばれるようになったという。このうち女と見まがうような若い武将がいて、時折町に木臼を売りに出掛ける姿は哀れであったが、薄を運ぶ馬には、昔を偲ぶ金の鞍と金の鈴が輝いていた。
その頃、町の美しい娘とその若武将との間に恋の花が咲くようになり、たまの逢瀬を楽しんでいた。
ある年の正月、娘との甘い夢を胸に抱き山を下った若者を待っていたのは、かねてより一番恐れていた娘の一族と役の一隊であった。いち早くこれを察知した若武者は、金の鞍を置いた馬に打乗り、湯出川の渕近くまで逃れたものの、隠れ家に入れば他の落人たちの身に危難が降りかかると思い、ついに意を決して馬もろとも澄み切った渕に金の鈴の音を残して身を投じ、この世を去ったといわれる。
それから、毎年正月になると、気味悪いまでに澄み切った渕の中から、金の鈴の音が聞こえてくる様になった。いつとはなしに鞍渕と呼ばれる様になったという。今では川も浅くなり、渕らしさは消えている。
一説には、壇ノ浦からようやくここまで逃れてきた平家の落武者は、人馬ともに疲れ果て、突き立った絶壁を登るのは不可能であると諦めて、金の鞍を付けた馬諸共に、その深い渕に沈んでいったという。
◯参考文献
『管内実態調査書第5(城南編)』熊本県警察本部警務部教養課 1962年
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