鬼八法師【キハチホウシ】
◯地域
◯概要
阿蘇を開発した健磐龍命(阿蘇大明神)の家来であった鬼八は、往生岳から的石に向けて射った矢を拾う役目を仰せつかった。命が射られる度に矢を拾っては持ち帰り、往復五里(約20km)の距離を超人的な速さで行き来していた。
初めは神妙に差し上げていたが、次第に疲れが見え、百本目の矢を的石に射った時、とうとう我慢できなくなって、矢をつま先で蹴帰した。命は大層お怒りになり、「鬼八の首を討ち取れ」と大声で仰った。これを聞いた鬼八は根子岳のおく戸を蹴破り南郷谷の方へ抜け、矢部まで逃げた。そこでとうとう命に捕らえられてしまった。
しかし、鬼八は屁を八つひり、命が面食らっている隙に逃げ出した。命は再び追いかけ、2人は三田井境の窓の瀬に着くと、五ケ瀬川を挟んで戦い、ついに鬼八は命に生け捕られてしまったという。
命は、捕らえた鬼八の首を斬り落としたが、首はすぐ元の切り口に繋がって生き返ってしまう。手を切れば手が元の切り口に繋がってしまい、結局手足をバラバラに切り離し、一つ一つ離れた土地に埋めた。しかし最後に斬った首は天に舞い、鬼八の怨霊は空に永久に残った。
それから毎年、命が作物をお作りになると、鬼八の怨霊は6月の暑い時期でも霜を降らせ、作物を台無しにしていた。阿蘇の百姓たちもこの冷害に苦しめられていたという。
命は自らが謝ることで民が救われるのならばとお考えになり「鬼八の霊よ、お前を神として祀るので、どうか許しておくれ」と詫びると、鬼八は「あなたに切られた首の傷が痛んで困ります。できる事なら温めてください。」と頼んだ。そこで命は、人々に命じて霜宮(霜神社)を建て、火焚き神事を行うことで鬼八の怨霊を鎮めたという。
これが霜宮の火焚き神事の始まりである。
◎宮崎・高千穂の鬼八伝説
今回は阿蘇地方の鬼八法師の伝承を紹介したが、宮崎の高千穂にも鬼八の伝承が残っている。
詳細はコチラ→阿蘇ぺディア
◎霜宮の火焚き神事
鬼八を鎮める霜神社の火焚き神事は、霜の害から農作物を守る為、少女が59日間にわたって火を焚き続ける神事である。
現在、国の重要無形文化財に指定されている。
火焚き神事の詳細は下記サイト
◯参考文献
熊本県小学校教育研究会国語部会編『熊本の伝説』「健磐龍命と鬼八法師」日本標準 1978年1月
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