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インガミ

更新日:2023年10月3日

インガミ


◯地域

熊本県各地


◯概要

球磨郡、人吉郡など熊本県南部に広く伝わる。犬神の事。インガメ、犬がめとも。

共通して、犬が人に取り憑く“憑物”である。

各地域により、その細かな形態や性質は様々である。


以下、地域ごとに事例を列挙する。



◎球磨

球磨郡一帯では今も犬神信仰が非常に濃厚である。各部落に一、二軒はあるが、これは少ない方で部落の大部分が犬神憑きであるところも郡内には少なくない。

犬神は生まれた当座の犬の子の様な格好をしているがそれはその家の人にだけ見えるのであって他人にも見えない。犬神憑きの人が他人を呪う時にはこの犬神をその人に取り憑かせる。そうするとその人は必ず病気になって苦しむのである。そのため狂人の様になって死ぬ者もいるという。一方で病人の方は犬神に憑かれた事に気がつくと医者にかからずに祈祷師を呼んでお祈りをしてその犬神に祓ってもらう。祈祷師が郡内の各村に何名か居て、なかなか繁盛していたという。勿論犬神憑きとそうでない家では絶対に縁組はしない。


・球磨郡小畑村

犬神を飼っている家では天井裏に毎晩米を撒いてやるなどという。これが村の中で色々争いを起こすことがあり起訴事件まで起こった事もある。犬神は誰にでも憑くものではなく、特に憑き易い人がある。犬神の中には“福神”といってその家を金持ちにする者と、反対に貧乏にするものとがある。『熊本民俗事典』


・球磨郡岡原村(現・あさぎり町)

岡原村の皇太神宮近くの墓地内には、犬神を祀る小祠(高さ50センチ)がある。これは某家のものであり、この中にはワラヅトに入れられた小豆が納められている。これにより祟りが出ないようにしている。

『球磨東部の民俗資料』


・球磨郡一勝地村(現・球磨村一勝地)

犬がめ。これは物の怪によるものであり、祈りによって快癒することができると信じられている。またそれは伝統的なものであり、その家とは平素親密な交流は避けるべきで、婚姻などは絶対にするべきではないとされる。根深い思想として今もなお残存している。『熊本県鹿本郡 米野岳中校区の民俗と歴史』


・多良木町

犬神つきの者は「犬神もち」と呼ばれ、各町村内に評判の婦人がおり、魔道を働くという。これに取り憑かれた家には、よく小さい神の祠がある。これは犬神の像であり、神を慰めるために供物をする。

犬神もちは、相手を病気にしたり、死に至らしめたりすることさえ可能だと信じて口にすることすら忌み嫌う。余りずけずけと語るとその人に憑りつく恐れがあるという。

犬神が被害者の家に放たれると、奇妙な叫び声をあげるのを時として聞かれる。それにより、犬神がいることが分かるのである。牛や馬が死んだり、火災が起きたり、とにかく変事があったり、原因不明の重い病気に罹ると犬神が憑いたものとして呪いや祈祷を頼み、これを免れようとする。

『熊本県鹿本郡 米野岳中校区の民俗と歴史』


◎人吉


・人吉郡永葉(現在・人吉市)

人の恨みを受ける人を「インガミがくったんじゃなかろうか」という。

犬を首から上を残して生き埋めにし、魚を犬の眼前に置き、それを食べようとするところを打ち殺す。すると、その魚犬の魂が移る。その魚を人が食べると「インガミの魂を貰う」といって、その人自身がインガミとなる。ネコガミも同様である。

また、葬式の時、「イヌッテ」に行く時に履いた草履をとっておき、正月の晩に家の周りを三回廻って、棟ごしに投げると、その年はインガミ様が出ないという。この草履を入り口にかける事を、「マハライ」と言って魔除けになる。

牛が田に糞をすると、鋤(すき)で片付けるのだが、その時、牛が嫌う事がある。そういう時は「インガミが憑いたんじゃなかろうか」と言って小便をかける。『伝承文化』通巻十号


・人吉郡下永野町(現・人吉市下永野町)

インガメを祀る家があった。誰かが病気になると、インガメが憑いたと思って、犬神持ちの〇〇さんが来たと言った。周囲の人は恐ろしがったが、付き合いは普通にしていた。昔の人は結婚を意識して、付き合いを遠慮した。

嫁に行ったものは、犬神を祀らない。この犬神を祀っている家を継いだ者は、犬神を祀る。その家の者は犬神を意識せず、昔から代々祀っている神としか思っていない。

犬神持ちが通ると、トリモチガ固まらないという。『伝承文化』通巻十号


・人吉郡木地屋町(現・人吉市木地屋町)

インガメ憑きの人は目の光が違い、“精神の悪い人”と呼ばれる。あるインガメの家では、庭に祠(地蔵菩薩)が祀ってあり、時々御神酒をあげていた。この家では、憑き物筋である事を嫌っていなかったが、周囲の人達が通婚を嫌ったという。この家は宮崎に引っ越してしまって、他の人が、屋敷を買い取って住んでいる。しかし、前の家のインガメが着くだろうと言っても、この家を忌む事はないという。

インガメが喰い付くと病気になる。体が痛んで何も食べられず、なかなか治らない。そこで、人吉のカンギャーシャ(祈祷師)を頼んで落としてもらう。カンギャーシャは喧しくて、ヒノモンダテを作り、その下に火鉢を置いて火を焚く。その火の上で、カンギャーシャがお祓いをするが、火がついても御幣が燃えない。祈祷が終わると火も消す。そしてお経を詠み、柏手を打って終了する。カンギャーシャは一ヶ月後に治るという。またカンギャーシャはどこのインガメが憑いたか分かるという。『伝承文化』通巻十号


・人吉郡上漆田町(現・人吉市上漆田町)

人間が病気になると、インガメが憑いたと言った。三十年程前(1946年頃)、インガメに憑かれた人がいて、村中、大騒ぎになったことがあった。現在では、ノイローゼや精神病になった人の事を、医学的な知識がないので、インガメという言葉で片付けたらしいと言われている。

犬神が憑かないためには、モグラを黒焼きにして、紙に包み、家の前にぶら下げて置く。これは病気にならないための呪いでもある。また、うちち・しょのみ・ねたみを持たないようにするのも、犬神憑きになるのを防ぐ方法でもあった。

村人は、噂好きの癖に、自分達のことを噂される事を嫌い、インガメという言葉で噂されるのを避けた面もあったという。

犬神に憑かれた事を水神・荒神様の祟りだという人もいる。(別記事にて“荒神様・水神様のさわり”も紹介している)『伝承文化』通巻十号


・人吉郡鹿目町(現・人吉市鹿目町)

インガメ憑きは、昔からその家に受け伝わる生霊のようなもので、その家の人が他人を憎んだり、同情したりすると、その相手方は、急に熱を出したり、病気になったりするという。『伝承文化』通巻十号


・人吉市大畑町

インガメがとり憑いている者は、「〜したらとり殺すぞ」というような言葉遣いや、アクセントが違う言葉を使うので、インガメがとり憑いた事がわかるという。また、病気になったりすると、インガメの悪口を言ったからだと言われたりした。

大畑で、インガメを飼っている家は、元株の二軒と決まっているという。村人は、その家の人たちとの接触を嫌ったが、現在では普通の付き合いをしている。麓ではインガメ筋がないと言われている。

インガメは、殆どの場合、女の人にとり着くが、時には男の人にとり憑くこともあるという。

インガメ筋の者が、いつもの声と違ったインガメの声色で米を借りに来たところ、米がもったいなかったので貸さなかった。その後、米を貸さなかったおばさんは、だんだん痩せて、変な事を口走るようになった。そこで、ホウシャドンに見てもらったら、インガメが憑いているといわれ、刀で振り落としてもらったという。その後、おばさんは治り、ケロッとしていた。『伝承文化』通巻十号


・人吉市田野町

代々からカゼを持っている家を「インガメのトウ」と言っている。これは、祟りを出す家、カゼ持ちの家という意味である。分家しても「インガメのワカレサレ」といわれ、そういう家との婚姻は、家柄が違うとして縁組は躊躇われた。

急病・変病に罹ると、祈祷師に見てもらう。そうすると、「あの人が妬むような事をしたことはないか」「身に覚えはないか」を聞かれ、インガメの祟りであると言われた。

インガメは、恨みを持った人が苦しさに、「犬バリ」をして、祟りをつくったものである。犬バリとは、犬に美味しいものを食べさせ、食べている時、首をサクッと切って、インガメを作る事をいう。また、藁人形に釘を打ち込み、恨みを晴らそうとして祈ると、それがインガメになった。

インガメを避けるには、猪の足を入口の軒下に吊り下げたり、もぐらの黒焼きを木戸に埋め込んだという。

『伝承文化』通巻十号



 

以上に挙げた事例は、まだまだ一部であると思われますので、新たに見つけ次第随時更新致します。


憑物や憑物筋については、小松和彦『憑霊信仰論』や徳永誓子『憑霊信仰と日本中世社会』などが詳しいです。

 

◯参考文献



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