鉾様【ホコサマ】
◯地域
天草郡一丁田村(現・天草市河浦町)
◯概要
天保年間、落人であったとも六部のようなものであったともいい、兎に角一本の鉾を錫杖のごとく杖を突いて、雨乞をして回る祈禱僧であった。その僧も、その鉾もその人と鉾を祀ったお宮も一様に鉾様と呼んでいる。
そのお宮は、今村の轟川の淵の上に建っている。二間四角位の萱葺で、鳥居には中央に御鉾神社、右に厳島神社、左に若宮神社と書いてある。例の鉾が御神体で、今は栄助という男が作って奉った宮に納めてあるという。これが鉾神社で、その鉾を持ってきた祈祷師を祀ったのが若宮様である。
益田の池田という老人いわく、日本には天三矛(アメノミ)といって、霊験のある鉾は三本しかない、日矛は霧島にあり、風矛が何処かにあり、雨矛が今村の鉾様であるという。
雨の欲しいときには、この鉾様に神主が祈願をこめて、お告げがあったとき、鉾様の地突きのところを淵の中に入れればすぐに雨が降り、そこで下の川筋には、つける前に必ず川傍の品物などを流さぬように用心せよと触れて回った。
近年は霊験は少なくなったといい、それは昔この鉾様の使方には、彌兵エどんの巻物がついていたが、何時の間にかなくなり、神官が寸分違わぬように扱いが出来なくなったためである。向きは北向き、時間は丑の刻とまでは覚えているが、今の神官ではぴたりと合うようにできないという。
◯参考文献
民族学会編『民俗学2(7)』濱田隆一「肥後天草郡一丁田村採訪記」民俗学会 1930年
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