母ヶ島の怪火【ホガジマノカイビ】
◯地域
葦北郡松橋町(現・宇城市松橋町)
◯概要
桓武天皇の延暦年代の始め頃はこの地域一帯は海であった。
この母ヶ島の海に夜な夜な怪火が現れ、里人は恐怖におののいていた。
折柄、この地を訪れた旅層の弉然大師(そうぜんだいし)がこれを聞き、舟に乗って怪火のところに行って見ると、それは巨大な香木であった。
岸に引き上げよく見れば「釈迦形体」の4文字が見える。
弉然は、天台山で修業中、その山に繁る同じ香木を知っているので、この香木は自分押しが波にゆだねて自分に贈ったものだと解し、それから寄田の島で経を誦え、自ら仏像を刻んだ。
毘沙門天37体、不動明王36体、観世音菩薩34体、薬師如来49体、阿弥陀如来18体の計174体を刻み、これを宇土、益城、八代三郡に49院を建立し安置した。豊野寺村の浄水寺もその1つといわれている。
刻んだ破片の「こけら」は山をなし、こけら塚といって大正頃まで残っていたという。
上記の話は『釈迦院縁起』その他による。
原書では、仏像の総数が164となっておりました。仏像数と合計のどちらが正解かは判然としませんが、本サイトでは合計を修正して掲載しています。
◯参考文献
林田憲義 著『松橋町史』松橋町 1964年
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