榎の童子【エノキノドウジ】
◯地域
◯概要
昔、菊池では正月4日に山で仕事をすることを「四日山」と言っていた。
ある年の正月4日の早朝に、善作が斧や鉈などを持って、龍門渕の上の自分の田んぼに出かけて行った。田んぼのそばに大きな榎があって、その広げた枝葉が田んぼにかかり日陰になるので、その榎を切り倒そうと考えていたのだ。
斧で榎を切り倒そうとしたとき、ふと後ろの方で何かが動く気配がした。後ろを振り返ると、そこには綺麗な童子が、酒を飲むときの銚子と盃を三方に載せて朝霧の中に立っていた。
童子は善作に「盃をしよう!」と誘いかけるが、善作はこんな時間、こんな場所に童子がいるのはおかしい、これは狐か狸の仕業だと判断した。すっかり腹を立てた善作は「お前は何者かい!化かされはせんばい。仕事の邪魔ばするな!」と叫んだかと思うと、持っていた斧を振り上げて童子に打ちかかった。
斧は童子の頭を深く割った。童子の高い悲鳴が響き、龍門渕へ真っ逆さまに落ちていった。
狐狸の類であれば、何かその正体を現すはずだと、善作はその様子をじっと見ていたが、そんな気配はない。ふと我に返った善作は「むげーこつばしてしもた!」と真っ青な顔で家に逃げ帰り、とこの中に倒れ込んだ。
その様子を見ていた嫁は驚いて、夫の仕事先で何かあったに違いないと、龍門渕へ出かけた。するとそこには、可愛らしい童子が頭を割られ、血だらけで浮いていた。
それより三日三晩、迫間川の清流は赤水になって流れたという。
とこの中に倒れ込んだ善作は、そのまま病気になりやがてこの世を去った。栄えていた善作の家も次第に衰えて子孫もついに絶えた。
また黒々と枝葉を茂らせていた榎も童子が頭を割られてから次第に枯れ始め、善作が死に、家が没落したのと合わせるように枯れたという。
◯参考文献
菊池市高齢者大学編著『菊池むかしむかし』図書出版青潮社 1978年
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