大塚どん【オオツカドン】
◯地域
人吉市西大塚町
◯概要
直径約30mの小高い円型状の雑木林にある自然石である。直径1.8m、高さ3.6m位のやや卵型の大石が直立している。来歴は不明だが、住民の話によれば、昔大塚という庄屋殿が修行をした場所だという。
昔からこの大塚どん付近の土を踏むだけで、大塚どんは非常に怒り、どんな祟りがあるか分からないというので、恐ろしがって近寄らない。
・明治30年頃
大塚どんの西方約100mに当時の猟友会の射撃場ができた。射撃があった日の午後は決まって雨が降ったという。
・明治41年
大塚どんの付近にカヤの大木があり、3人が共同で討伐した。それより3日後に大きな山崩れの音がしたので行ってみると、大塚どんのすぐ北側の山が少し崩れたくらいだったので、大きな音がしたのは不思議だった。その翌朝、また大音響が谷山にこだまして、大塚どんの付近ももうもうたる大砂塵に包まれたが、意外に山崩れは小さく、これは大塚どんの祟りであったと言われている。
・明治の末期
この頃に大旱魃があり、困り果てた農民は、大塚どんにお願いすることにした。代表として椎葉仏蔵が選ばれ、他に若者2人を連れて行った。まず胸川で身を清め、静かに大塚どんの前ですくんで、一心に雨乞をすると、一天俄かに曇って大雨となったという。
◯参考文献
『管内実態調査書第5(城南編)』熊本県警察本部警務部教養課 1962年
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