火伏地蔵【ヒフクジゾウ】
◯地域
◯概要
町外城の地蔵堂に木造地蔵が祀られ“火伏地蔵”と呼ばれている。
この地域は鎌倉時代河尻城主河尻泰明によって祀られた地蔵菩薩の霊場であったが、兵火により焼失していた。その後江戸時代になって加藤清正の家臣だった安武市之丞好次が引退後にここに住んだ。そして加藤清正が小西行長を落とし、宇土城解体の木材でこの地に川尻御蔵を建てるので、好次が住む土地を提供することとなった。そして好次は、近くに移転して名を常清と改めた。
ある夜、常清は夢のお告げで、兵火で焼け残った地蔵の頭部が林の中にあることを知り、その林から見つけ出した頭部を祀り、常清寺を建立したという。
それ以降、この町に火災が起ころうとすると、12~13歳の童子が走り回って知らせていたので火災はなかったという。
この常清寺は現在も川尻にあり、大曼荼羅を本尊とする日蓮宗寺院です。年間行事を始め、納骨、九星気学なども行っている様です。
◯参考文献
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