赤猫田【アカネコダ】
◯伝承地
玉名郡三加和町(現・和水町)
◯概要
徳川時代、ここに六兵衛半助という百姓の家があった。夫婦暮らしだったが、病などを患い、借金が増え生活は苦しかった。ある時、高利貸しに「貸した金ば、はよ戻せ」と責められ、「待ってくだはりまっせ」と祈るように頼むと、今度は元利揃えて戻せ、さもなくば出ていけと言って帰って行った。大晦日の晩に高利貸しがやってきて金は揃ったのかと言うので、半助は「古飯ば食ったら出て行きますけん、それまじ、待ってくだはりまっせんか」と頼んだが、高利貸しは「古飯どこるか」と土間の土を掴み投げ込んだ。夫は「この怨み晴らさでおくべきか」と言い残し、2人はあてもなく彷徨った。そして近くを流れる和仁川に身投げをして死んだという。それから間も無く、百姓の怨霊が赤猫となって現れ、高利貸しの家を片っ端から祟り、高利貸しも狂死に、数年で家は滅んだと言う。
それ以降も赤猫は百姓の屋敷跡に現れ、家を建てる者や耕作する者を祟り続けたといい、現在も荒地として残る。
山鹿市椿井の菅哲成氏の発表によれば、大正九年七月、赤猫田に住んでいた家族三名死亡と過去帳にあったという。
インターネットにこの伝承が載るレポートを発見しましたので、下記の参考文献に併せて記載しておきます。
◯参考文献
高木誠治『玉名の民話』高木誠治 1979年3月
溝上浩平/渡邊俊介/和田康平『加和町上太田黒レポート』2004年6月
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